読書会の学習ポイントと感想

 

2023年9月17日の学習のポイント

 

9月の読書会では、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系Ⅰ......④「死の直後の様子」のDVDの内容を、講義形式で学習しました。

 

「死の直後の様子」の学習内容は、大きく5つの項目から成り立っています。

 

(1)死と死の眠りからの目覚め

(2)大半の地上人の死の直後の様子

(3)唯物論者や間違った宗教の狂信者の死の直後の様子

(4)生前から霊的知識を知っている人の死の直後の様子

(5)死の自覚と霊的知識を知っていることの重要性

 

今回は、(1)と(2)を学習しました。以下、学習のポイントです。

 

 

(1)死と死の眠りからの目覚め

 

人間は誰でもいつか必ず死を迎えます。死生観」でも学んだように、死とは、霊体と肉体を結んでいるシルバーコードが切れる瞬間のことを言います。人間は、死を迎えるとシルバーコードが切れて、霊体と肉体が分離します。

 

この時を一般的には瀕死の状態と言います。本人は意識を失い深い眠りの状態にあります。これが、死の眠りです。本人は意識を失っていますから、普通は痛みも苦しみも感じていません。

 

人々の中には死ぬときに苦痛を味わうのではないかと不安に駆られている人がいますが、シルバーバーチは、死の瞬間に困難は伴わないと断言しています。

 

死の眠りに入り、一定の期間が過ぎると、麻酔から醒めるように目を覚まします。このとき本人は、霊体だけになり地上に最も近い霊界である幽界に入っています。これが、死の眠りからの目覚めです。

 

このように、人間は死を迎えると同時に死の眠りに入り、やがて死の眠りから目覚めることになります。ここまで、ほとんどの人は同じようなプロセスを辿ります。

 

しかしここから、人によって状況が異なります。それぞれの霊性レベルに応じた歩みを始めるようになります。死の眠りから目覚めた後の様子については、大きく三つのケースに分けることができます。

 

まず一つ目は、死の眠りから目覚めたあと、混乱状態に陥るケースです。実は、大半の地上人がこのケースに当てはまります。ほとんどの人は、死や死後の世界について知りません。霊的知識を全く知らない霊的無知の状態にあります。そのため、死の眠りから目覚めると混乱状態に陥ってしまうのです。

 

二つ目は、死を頑なに否定し、やがて地縛霊になるケースです。唯物論者や間違った宗教の狂信者に多く見られます。地上時代に「死後の世界などない」「人生はこの世限りで終わる」と信じ込んでいた唯物論者や間違った宗教の狂信者などが、地縛霊になってしまいます。

 

三つめは、死の眠りから目覚めると、すぐに自分の死に気が付くケースです。この場合も、死の眠りから目覚めると、自分の遺体を見たり、周りにいる家族を見たりします。すると、「あ、自分は死んだんだ」と気がつきます。

 

自分の死に気が付くことを「死の自覚」と言います。死の眠りから目覚め、すぐに死を自覚することができるのがこのケースです。生前から霊的知識を知っている人がこれに当てはまります。

 

このように、人間は死の眠りから目覚めたあと、混乱状態に陥る人、死を頑なに否定して地縛霊になる人、すぐに自分の死に気が付く人というように、大きく三つのケースに分けることができます。

 

 

(2)大半の地上人の死の直後の様子

 

死の眠りから目覚めると、大半の人々は、混乱状態に陥ります。自分を取り巻く状況の変化に困惑します。そして、そのまま指導霊に導かれて調整期間に入り、休息所での眠りを通して、身体の調整が行われます。

 

ここで死の自覚が促されて、少しずつ自分の死を自覚するようになります。死を自覚すると霊的覚醒がなされ、霊的視力が開かれます。

 

すると、すでに亡くなっている家族や知人・友人の姿が見えるようになります。そうした「他界者の出迎え」を受け、再会の喜びを味わいます。そして、幽界での新しい生活に入っていきます。

 

ここで重要なことは、「死の自覚」を持つということです。自分が死んだことに気が付かなければ、幽界での生活を始めることはできません。そして、そのために調整期間が与えられているのです。

 

大半の地上人は、死の直後こうしたプロセスを辿ります。多くの人の場合、地上の時間にして数日から数週間で、幽界での生活に入っていくようになります

 

以上が、スピリチュアリズムの思想体系Ⅰ......④「死の直後の様子」の(1)死と死の眠りからの目覚め、(2)大半の地上人の死の直後の様子のポイントです。

 

 

 

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2023年7月16日の学習のポイント

 

7月の読書会では、前半は、5月と6月の学習内容の復習をしました。後半は、前回に引き続き、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系Ⅰ……②「人生観」のDVDの内容を講義形式で学習しました。

 

学習した項目は、以下の通りです。

 

(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)のうち、シルバーバーチの人生観のポイント④

 

 

今回学習した内容のポイントについて見ていきます。

 

 

(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)

 

④霊的成長をすることが正しい地上人生

 

シルバーバーチは、霊的成長をするための実践として、三つの内容を挙げています。

 

・霊主肉従の努力

・利他愛の実践

・苦しみの甘受

 

これら三つを実践し、霊的成長を達成することが、正しい地上人生ということになります。

 

 

一つ目の、霊主肉従の努力とは、霊を優位にするための努力ということです。

 

大半の人は肉体や物質を中心とした生活をしているため、肉主霊従の状態にあります。肉が優位な状態では、利己性に支配されてしまい、霊的成長はできません。

 

人間が、霊的成長をするためには、霊主肉従の状態を作ることが必要です。霊が優位になると、心が利他性に支配されるようになります。

 

利他性は、神が造った摂理です。人間は、利他性の摂理に一致することで、霊的成長が促されるようになります。

 

霊主肉従の状態を作るためには、肉体本能を抑制しなければなりません。それが、霊的コントロールの努力です。

 

人間は、日常生活における霊的コントロールの努力を通して、霊的成長の道を歩んでいくことができるようになるのです。

 

 

二つ目は、利他愛の実践です。

 

地上人の多くが、肉主霊従の状態にあり、利己愛に支配されています。利己愛は、神の摂理から外れた愛です。心が利己愛で占められた状態では、霊的成長はできません。

 

人間は、日常生活の中で霊主肉従の状態を維持し、利他愛を実践することで、神の摂理に一致し、霊的成長ができるようになるのです。

 

 

三つ目は、苦しみの甘です。

 

人間が、神の摂理から逸脱した生き方をすると、苦しみが生じるようになります。

 

その苦しみを、今までの摂理違反に対する“シグナル”として受け止め、間違った生き方を正していくことが必要です。それが、苦しみの甘受ということです。

 

多くの人は、苦しみは嫌なものであり、できるだけ避けたいと思っていますが、苦しみは、霊的成長にとって不可欠なものなのです。

 

以上が、シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)の、④霊的成長をすることが正しい地上人生のポイントです。

 

 

 

次回の読書会は、9月になります。

 

 

 

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2023年6月18日の学習のポイント

 

6月の読書会では、前半は、5月の学習内容の復習をしました。後半は、前回に引き続き、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系Ⅰ……②「人生観」のDVDの内容を講義形式で学習しました。

 

学習した項目は以下の通りです。

 

(3)スピリチュアリズム初期の霊的人生観……霊魂説に基づく人生観(初歩の霊的人生観)

(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)のうち、シルバー バーチの人生観のポイント①~③

 

 

今回、学習した項目のポイントについて見ていきます。

 

 

(3)スピリチュアリズム初期の霊的人生観……霊魂説に基づく人生観(初歩の霊的人生観)

 

スピリチュアリズムは、心霊研究を通して、人類史上初めて“霊魂説の正当性”を明らかにしました。霊魂説とは、「人間は死後も霊魂としていき続ける」「死後の世界、霊界が存在する」「死後の世界に住む霊は、地上人に働きかけることができる。通信を送ることができる」。これらの三つの内容から成り立っています。

 

こうした霊魂説について、人生とは何かと説いたのが、「霊魂説に基づく人生観」「初歩の霊的人生観」です。

 

初歩の霊的人生観とは、「人生とは死によって終わるのではない。死後も人生は続いていく」「物やお金、地位や名声は死と共に全て消滅する」「物質的な利益の追求だけに人生を費やす人は、霊界では幸福になれない」というものです。

 

これが、スピリチュアリズムの初期に人類に示された「霊魂説に基づく人生観」なのです。この人生観が、その後登場したシルバーバーチによって高められ、完成されて人類に示されることになったのです。以上が、スピリチュアリズム初期の人生観のポイントです。

 

 

 

 

(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)

 

①地上人生は、一時的な仮の人生

 

 シルバーバーチは、地上人生の正しい位置づけをしました。それは「地上人生は一時的な仮の人生である」ということです。霊界での人生がメインであり、地上人生は永遠の人生の中のほんの一瞬にすぎません。霊界での人生に比べると、地上人生はごくわずかな期間にすぎないのです。

 

 

②地上人生は、霊界人生のための準備期間

 

地上人生は、霊界人生のための準備期間です。人間は、短い地上人生を通して、霊的成長の基礎を築き、霊界での生活の準備をしていきます。

 

地上世界は、霊界人生のための訓練場です。霊界と違って、地上世界では、人間は重くて不自由な肉体を携えて生活することになります。そうした厳しい環境の中で、意志と忍耐力を養い、霊的成長の基礎を作り上げていくことになります。

 

人間は、地上ならではの体験を通して、基本的な霊的成長を達成し、霊界での永遠の生活に備えることになるのです。地上人生の目的は、霊的成長です。すべての人間は、霊的成長をするために誕生してきたのです。

 

 

③地上人生で最も価値があるものは、霊的成長(霊的成長至上主義)

 

地上人生で最も価値があるものは、「霊的成長」です。霊的成長に最大の価値を置くあり方を、霊的成長至上主義と言います。シルバーバーチの思想は、この“霊的成長至上主義”に貫かれています。

 

人間の人生は、地上人生も、霊界人生も、すべてが霊的成長のためにあります。間が死後、霊界に持っていくことができるのは、地上人生の間に達成した霊的成長だけです。霊的成長こそが、人間にとっての真の宝、永遠の宝なのです。

 

 

霊的観点から見ると、霊的成長が、すべてのものの価値をはかる基準となります。地上で、霊的成長をした人は、価値のある人生を送ったということです。反対に、霊的成長をしなかった人は、価値のない人生を送ったということになるのです。

 

真に価値のある人生とは、「霊的成長を促す生き方のこと」なのです。

 

シルバーバーチは、“霊的成長至上主義”を中心軸に、人生観を説いています。“霊的成長至上主義”は、地上人生を支配する神の摂理であり、絶対的な価値基準なのです。

 

以上が、(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)の①~③のポイントです。

 

 

 

 

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2023年5月21日の学習のポイント

 

5月の読書会では、前半は、3月と4月に学んだ「死生観」の復習をしました。後半は、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系Ⅰ……②「人生観」のDVDの内容を講義形式で学習しました。

 

スピリチュアリズムの思想体系Ⅰの「人生観」は、以下の4つの項目から成り立っています。

 

(1)多くの人の人生の実態

(2)熱心な宗教者の人生観……宗教的人生観

(3)スピリチュアリズム初期の人生観……霊魂説に基づく人生観(初歩の霊的人生観)

(4)シルバーバーチの人生観……霊的価値観に基づく人生観(霊的人生観)

 

5月の読書会では、(1)多くの人の人生の実態、(2)熱心な宗教者の人生観を学習しました。

 

 

今回、学習した項目のポイントについて見ていきます。

 

 

 

(1)多くの人の人生の実態

 

世の中の多くの人は、人生の意味や目的について考えることもなく、忙しい毎日を送っています。日々の生活の中で、誰もが思っていることが、「幸せな人生を送りたい」ということです。

 

多くの人は、幸せになるためには、「物やお金が必要だ」と考えています。物やお金が幸福を決定するという考え方を「物質的幸福観」と言います。「物質的幸福観」は、物やお金に価値があるという「物質的価値観」を生み出します。大半の人が、「物質的幸福観」と「物質的価値観」に支配された人生を送っています。

 

人々の中には、人生の意味や目的を知りたいと真剣に考える人もいます。人生について探求していくと、必ず、死という事実に行きつきます。そこで、「死ぬまでの限られた人生を、できるだけ価値あるものにしたい」と考えますが、結局、それがどのような人生なのか、わからないのです。

 

大半の人は、「死とともに人生は終わる」「死後の世界はない」と考えています。こうした考え方を「地上的人生観」と言います。世の中の多くの人は、「地上的人生観」に基づいて、地上的・物質的な喜びや満足を追及する人生を送っているのです。

 

 

 

(2)熱心な宗教者の人生観……宗教者の人生観

 

熱心な宗教者は、教団の教え、教義を守って、信仰生活を送ることが、正しい生き方だと信じています。彼らにとって最も価値があるのは、教義に忠実な信仰です。彼らは教義を守って、信仰生活を送ることで、死後の救いと幸福が約束されると信じて、信仰に人生を捧げます。熱心な宗教者は、教団の教えを土台として、人生を送るようになるのです。

 

「死後の世界はない」と考える多くの人にとっても、「死後の世界はある」と信じている熱心な宗教者にとっても、死は最大の恐怖であることに変わりありません。結局、人間は、どんな人生を歩んだとしても、死の恐怖を克服することはできないのです。

 

これまで、人間は、なぜ死への不安や恐怖を拭い去ることができなかったのでしょうか。

 

それは、死後の世界についての真実が分からなかったからです。死と死後の世界についての正しい知識がなかったために、死後の世界がどのようなところなのか、その実情がわからず、死に対しての不安や恐怖が付きまとうことになったのです。

 

 人々が死の恐怖を克服できなかったのは、死の問題に対する無知、すなわち、「霊的無知」に原因があったのです。こうした、人類が長いあいだ問い続けてきた死の問題について、スピリチュアリズムは霊的事実に基づいて初めて解答を示しました。スピリチュアリズムは人々に、死と死後の世界についての正しい知識を教え「新しい人生観」を示すことになったのです。

 

以上が、(1)多くの人の人生の実態、(2)熱心な宗教者の人生観……宗教的人生観のポイントです。

 

 

 

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2023年4月16日の学習のポイント

 

4月の読書会は、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系Ⅰ......③「死生観」のDVDの内容を講義形式で学習しました。

 

今回は、以下の項目(5)~(8)までを学習しました。

 

(5)シルバーバーチの死生観

(6)死に類似した現象

(7)「死」に関するさまざまな問題

(8)「死」に関する社会的慣習・宗教的行事

 

それぞれの項目のポイントについて見ていきます。

 

 

 

(5)シルバーバーチの死生観

 

シルバーバーチの死生観は、スピリチュアリズムの死生観の集大成と言えるものです。シルバーバーチによって、人類史上最高次元の死生観が、地上世界にもたらされることになったのです。

 

シルバーバーチは、霊的観点に立って、死は喜びであり、希望である。死は、地上人生を歩み終えたことへのご褒美であると述べています。そして、愛する人との死別は、祝福すべきことと言っています。

 

従来の死生観とスピリチュアリズムの死生観、そして、シルバーバーチの死生観のポイントを比較して、その違いを確認していきます。

 

従来の宗教は、人間は死後も生き続ける、死後の世界があると説いてきましたが、その教えは説得力がなく、人々の心を救うことができませんでした。人々にとって、死は最大の恐怖であり、愛する人との死別は最大の悲しみでした。

 

スピリチュアリズムは、地上人に死についての真実を明らかにし、死は恐れる必要がないことを示しました。それによって、これまで死の恐怖に囚われていた人々の心に、安心と救いがもたらされました。そして、愛する人との死別は、永遠の別離ではないことが分かり、人々は死別を悲しむ必要はないことを理解し、慰めを得ることができるようになったのです。

 

シルバーバーチは、スピリチュアリズムの死生観を霊的観点から説くことによって、レベルアップさせました。シルバーバーチは、死は恐怖ではなく、喜びであり、希望であり、地上人生を終えたことへのご褒美であると言っています。そして、死別は悲しむようなことではなく、祝福すべきことだと言っているのです。

 

シルバーバーチは、スピリチュアリズムの死生観をさらに高次元のものへと引き上げ、完成した死生観を人類に示しました。シルバーバーチが説く死生観は地球人類にとって、画期的表現を超えた、まさに革命的な思想と言えるものなのです。

 

 

 

(6)死に類似した現象

 

死に類似した現象として、「幽体離脱・臨死体験」があります。幽体離脱とは、霊体が肉体から離れ、シルバーコードで繋がれた状態で、霊体だけがどこか別の場所へ行って戻ってくるという現象です。これまで幽体離脱は、特別な人間だけが体験する稀な現象だと考えられてきました。

 

しかし、シルバーバーチは、全ての人間が、毎晩のように睡眠中に幽体離脱をして霊界を訪れているという事実を明らかにしました。睡眠中の幽体離脱の体験は、死後の世界での生活のリハーサルになっています。これは、シルバーバーチが初めて明らかにした驚異的な霊的事実です。

 

 

 

(7)「死」に関するさまざまな問題

 

死に関するさまざまな問題について、ここでは、自殺、死刑制度、安楽死、延命治療と尊厳死、臓器移植と脳死、これらの問題を霊的観点から整理していきます。

 

 

・自殺について

 

霊的観点から見ると、自殺が間違いであることは明らかです。その一番の理由は、生命は、自分のものではなく、神から与えられたものだからです。神のものである生命を自分で勝手に捨て去ることは、摂理違反であり許されません。

 

自殺という摂理違反を犯した場合、死後の世界において、それ相応の苦しみを受けることになります。自殺をした人は、死後真っ暗な中で孤独なときを過ごすことになります。自分が犯した間違いの大きさを知り、強い後悔の念に苛まれることになります。自殺は、摂理から外れた行為であり、絶対にしてはいけないことなのです。

 

 

・死刑制度について

 

霊的事実からすれば、死刑制度は間違っています。たとえ罪を犯した人間であっても、その生命は神から与えられたものです。神から与えられた生命を国家権力によって奪うことは許されません。

 

強制的に生命を奪われた人間は、憎しみを募らせ、霊界から更なる悪事を働くようになります。死刑制度には、人間の恐怖心に訴えて、犯罪を抑制しようとする狙いがありますが、実際には、何一つ問題の解決には繋がっていません。死刑ではなく、終身刑にすべきです。

 

犯罪者の大半は、拘束され自由を奪われて生きていく中で、自らが犯した罪の重さに気がづくようになります。取り返しのつかない悪事を働いてしまったことを後悔し、反省し、やがて償いの思いが湧いてきます。死刑制度は、地上人類の霊的無知から発した間違った制度の一つなのです。

 

 

・安楽死について

 

安楽死とは、医学的に見て治る見込みがない病人を痛みや苦しみから解放するために医学的処置によって死に至らせることです。

 

しかし、安楽死という死に関する問題は、霊的観点から見ない限り正しい判断はできません。スピリチュアリズムでは、安楽死は間違いであると考えています。それは、生命はどこまでも神のものであり、神から与えられたものだからです。治る見込みがないからといって、神から与えられた生命を人間が勝手に葬り去ることは、間違っています。

 

植物状態に陥った人や、死の病で苦しんでいる人を見ると、早く楽にしてあげたいという思いが湧いてきます。しかし、患者は瀕死の状態の中で、カルマを切るプロセスを歩んでいたり、何らかの霊的学びをしているのです。生命は摂理によって支配されている以上、いかなる場合であっても死は自然の成り行きに任せるべきなのです。

 

 

・延命治療と尊厳死について

 

安楽死と反対の行為が延命治療です。延命治療とは、死に至ることが明らかな患者に医学的処置を施し、少しでも死期を伸ばそうとすることです。

 

尊厳死とは、死ぬことが分かっている患者を、無理に生き永らえさせるような不自然なことをしないで、自然に死を迎えられるようにすることです。

 

尊厳死は、先に述べた安楽死とは全く違います。安楽死は、治る見込みがない患者に薬などの医学的処置を施して、死に至らせることです。それに対して尊厳死は、死に直面している患者を無理に生き永らえさせるのではなく、自然に死を迎えられるようにすることです。

 

スピリチュアリズムでは、延命治療に特に意義は認めませんが、敢えて止めさせるほどの理由もないと考えます。

 

寿命は、摂理によって決められています。死期が来ればどれだけ延命装置を働かせても、生き続けることはできません。まだ寿命が残されている場合のみ、生命が保たれるのです。延命装置によって、寿命が延びるということではありません。

 

最も優先しなければならないのは、生命の尊厳性です。したがって、自然な死に方をさせてあげたいと思って、延命装置を外したとしても、摂理には反しません。尊厳死は問題ないということです。

 

 

 ・臓器移植と脳死について

 

唯物主義を土台とする現代医学は、死後の生命や霊界の存在を認めません。そうした唯物医学はできるだけ寿命を延ばすことを最大の目的としています。それを端的に示しているのが臓器移植です。

 

臓器移植は、「何とかして患者を生かしたい」という医者の思いと、「死にたくない」という患者の思いから行われています。そこには「死は恐ろしいもの。だから何としても避けたい。少しでも先延ばしにしたい」という共通認識があります。

 

霊的視点から見た時、そうした医学は明らかに的外れと言えます。死は、決して悲劇ではありません。それどころか死は、歓迎すべき素晴らしい出来事です。したがって、地上の限界に至った時には、霊界に思いを馳せ、死を静かに受け入れれば良いのです。

 

脳死についても、霊的事実に照らしてみれば、答えは明白です。脳死をもって人間の死と認定することは、間違っています。死の判定基準は、霊体と肉体を繋いでいるシルバーコードが切れる瞬間です。脳の機能が停止しても、シルバーコードが繋がっていれば人間は生きています。

 

脳が働かなくなり植物状態になっても人間を構成している霊的部分には何の変化もありません。霊体に備わっている霊の心は様々な意識活動をしています。脳死状態で生き続けるという苦しみを通して、カルマの清算をしていることもあるのです。

 

 

 

(8)「死」に関する社会的慣習・宗教的行事

 

最後に、死に関する社会的慣習、宗教的行事について見ていきます。ここでは葬式と墓を取り上げます。

 

 

・葬式について

 

葬式は、死者との永遠の別れを悲しむ時。これが今日までの地上人類の常識でした。人々にとって、死は、永遠の別離であり、葬式は、例外なく悲しみの時でした。

 

しかし、スピリチュアリズムによって示された霊的事実、特に、シルバーバーチによってもたらされた霊的知識に照らしてみると、そうした考え方は間違っています。霊的事実に基づいた葬式とは、重い肉体を脱ぎ捨て、霊界へ旅立つ人間を見送るための喜びのイベントです。素晴らしい世界に旅立つ死者を祝福するための儀式です。

 

 

・墓について

 

霊的事実に照らしてみると、墓は、あってもなくてもどちらでも良いということです。墓は、不要となった肉体の捨て場所に過ぎません。したがって、墓という特別な場所を設けなくても構わないのです。遺骨は、山や海に捨てても、川に流しても良いのです。また、墓だけでなく、仏壇や位牌も必要ありません。

 

これまで地上人類は何千年もの間、葬式や墓を大切にしてきました。しかし、霊的観点から見た時、それは、無意味で間違った慣習です。死に関する問題はすべて、霊的事実を踏まえて論じられなければなりません。葬式や墓の在り方も、当然、霊的観点から考え直さなければならないのです。

 

 

 

以上が、「死生観」の(5)~(8)のポイントについてでした。

 

 

 

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2023年3月19日の学習のポイント

 

3月の読書会は、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズム思想体系Ⅰ……③「死生観」のDVDの内容を講義形式で学習しました。

 

死生観は、以下の項目から成り立っています。

 

(1)「死」は人間にとって最大のテーマ

(2)「死」に対するさまざまな考え方

(3)スピリチュアリズムの登場

(4)スピリチュアリズムの死生観

(5)シルバーバーチの死生観

(6)死に類似した現象

(7)「死」に関するさまざまな問題

(8)「死」に関する社会的慣習・宗教的行事

 

今回は、(1)~(4)の項目を学びました。

 

それぞれの項目のポイントについて見ていきます。

 

 

 

(1)「死」は人間にとって最大のテーマ

 

人間にとって「死」は避けられない宿命です。誰もが「死」を「最大の恐怖」と感じています。「死」はいつか必ず訪れるものと分かっていても「死」を平然と迎えられる人はほとんどいません。「死」は恐怖であるだけでなく「最大の悲劇」であり「不幸」であり「悲しみ」です。人々は「死の恐怖」から救われたいと願い「宗教」にすがってきました。太古から「宗教」は「死の恐怖」に対する「救済手段」となってきたのです。

 

 

 

(2)「死」に対するさまざまな考え方

 

死に対する考え方は、大きく二つに分けられます。一つは、唯物論的な考え方です。唯物論的な考え方では、人間は死によって消滅する、死後の生命や死後の世界はないと考えます。霊魂や死後の世界を信じることは、時代遅れの考え方だと主張します。そうした唯物論的な考え方をする人が、死を冷静に受け止めることができるかと言えば、そうではありません。大半の人は、死に直面すると恐怖に怯え、死別の悲しみに打ちひしがれることになります。

 

死に対するもう一つの考え方は、宗教における一般的な考え方です。宗教では、人間は死後も存在する、死後の世界があると説いてきました。そして、生前の生き方によって天国や極楽浄土に行くか、地獄に行くかが決まると教えてきました。しかし、こうした宗教の教えを信じ、熱心に信仰しても死の恐怖から逃れることができません。もし地獄に落ちたらどうしようという不安が付きまとい、死ぬのが恐くなってしまうのです。

 

科学の進歩にともなって、現代人は多くの知識や情報を得ることができるようになりました。宗教が説く死についての教えは、科学的思考を持った現代人には、説得力がありません。宗教は現代人の理性を納得させることができず、人々の宗教離れが続いています。宗教に拠り所を求めることができない人々は、死の恐怖から逃れられずにいます。宗教が人々を死の恐怖から救うことができない最大の理由は、宗教自体の霊的無知にあります。死についての真実を教えるはずの宗教が、霊的事実を何も知らないため、人類に真実の死生観を示すことができなかったのです。

 

 

 

(3)スピリチュアリズムの登場

 

スピリチュアリズムは「死の問題」を科学万能主義の時代に再登場させました。スピリチュアリズムは、宗教という形式ではなく、霊的事実に基づく新しい霊的思想として「死の問題」に解答を示しました。

 

「スピリチュアリズムの死生観」が地上にもたらされたプロセスについて見ていきます。霊界側は、まず、様々な心霊現象を演出し、それを地上の科学者たちに研究させました。その結果、霊魂説の正当性が証明されました。霊魂の存在を客観的事実として証明したうえで、霊界通信を通して「霊的真理・霊的知識」を地上にもたらしました。

 

霊界からもたらされた「霊的真理・霊的知識」によって、人類史上初めて「死の問題」についての真実が解明されることになったのです。従来の宗教の死生観とスピリチュアリズムの死生観は、根本から違っています。従来の宗教の死生観は、「信じるか、信じないか」という信仰の問題でした。一方、スピリチュアリズムの死生観は、客観的事実として明らかにされたものです。地上には様々な死生観が存在してきましたが、スピリチュアリズムによって初めて、人類にとって唯一・共通の死生観が確立されることになったのです。

 

 

 

(4)スピリチュアリズムの死生観

 

スピリチュアリズムの死生観は、心霊研究を通して明らかにされた霊的事実に基づく新しい心霊思想です。現代人の理性が納得する画期的な死生観です。

 

スピリチュアリズムの死生観ののポイントは、死とは霊体と肉体を繋いでいるシルバーコードが切れる瞬間のことです。死後、肉体を脱ぎ捨てた人間は、霊体だけになって霊界で永遠の人生を歩むことになります。こうした死に関する真実が明確に示されたことで、地上人は死後の生命の存続や死後の世界の実在に確信を持つことができるようになりました。スピリチュアリズムによって初めて、地上人類は死の恐怖から救われることになったのです。

 

 

以上が、「死生観」の(1)~(4)のポイントについてでした。

 

 

 

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2023年2月19日の学習のポイント

 

2月の読書会では、昨年10月・11月・12月に学習した人間観のポイントを復習しました。

 

昨年の人間観の学習は、スピリチュアリズム普及会より出ているスピリチュアリズムの思想体系[Ⅰ]……①「人間観」のDVDの内容を講義形式で行いました。 

 

人間観は、以下の4つの項目から成り立っています。

(1)人間の身体の構成

(2)「霊」と「霊の心」

(3)心・意識とは

(4)死後の人間の身体と心

 

それぞれの項目のポイントについて見ていきます。

 

(1)人間の身体の構成

 

人間は、霊体と肉体という二つの身体から構成されています。肉体は、肉眼で見ることができますが、霊体は霊視能力を持った霊能者でなければ見ることができません。霊体と肉体は、同じ大きさ、同じ形をしています。そして、同一の場所に重複して存在しています。つまり、人間は、霊体と肉体という二つの身体の重複構造となっているということです。これが、スピリチュアリズムの身体観の一番の基本です。

 

シルバーバーチは、人間の身体の構成について、次のように述べています。

 

 

「人間は物的身体と霊的身体、そして両者を結びつける生命の糸(シルバーコード)という3つの要素から成り立っています」

                         (シルバーバーチの教え・下 p76)

 

 

物的身体とは肉体のことです。霊的身体とは霊体のことです。肉体と霊体は、シルバーコードと呼ばれる半物質のひもで結ばれています。シルバーコードについては、死生観で詳しく学習していきます。

 

 さらに、人間は、霊、霊の心、霊体という三つの霊的要素と、肉の心、肉体という二つの物質的要素で成り立っています。すなわち、人間は5つの構成要素から成り立っています。本来、霊的要素は、物質的要素に対して上位にあります。それが神の摂理に沿った在り方です。

 

 

(2)「霊」と「霊の心」

 

霊とは、人間の核であり、人間の本体、本質です。そして、霊とは大霊である神の分霊です。人間は、神から霊を分け与えられた存在であり、神と同じ霊的要素を持っています。

 

 

「あなた方は、ミニチュアの神なのです。あなた方は、大霊の完全な火花・全生命のエッセンスである霊を宿しています。その神聖な火花がなければ、あなた方は存在することはできません。」

                                                                                                                                        (The  Seed  of  Truth)

 

 

シルバーバーチは、人間は神と同じ霊的要素を持った存在であるということを、ミニチュアの神という言葉で表現しています。

 

霊を取り巻くように存在しているのが、霊の心です。霊の心は、霊の道具であり、霊の表現器官です。霊の心は、知・情・意の働きとして表現されます。霊も霊の心も、形態がないため、地上人には区別がつきません。地上人にとって霊は、霊の心の中心、最高次元の部分ということになります。

 

シルバーバーチは、人間は霊的存在であると定義しています。人間は、霊的存在であるということを、シルバーバーチの言葉で確認します。

 

 

「あなた方は、今この時も霊的存在なのです。死んでこちらへ来てから霊的なものを獲得するのではありません。あなた方は、受胎の瞬間から霊的存在です。あなた方を生かしめている大霊から、あなた方を切り離すことができるものは何もありません。」

                                                                                                                                      (The Spirit Speaks)

 

 

大霊によって、霊的存在として創造された人間は、永遠に個別性を維持し、果てしない霊的進化の道を歩み続けます。そして、終わりのない進化のプロセスの中で、少しずつ親なる神のもとに近づいていくことになります。大霊によって、等しく分霊を授けられた人間は、神の子供であり、神と人間は親子関係にあります。そして、全人類は神を共通の親とする霊的兄弟姉妹であり、霊的一大家族なのです。

 

 

(3)心・意識とは

 

人間は、霊体と肉体という二つの身体を携えて地上で生活しています。この二つの身体は、それぞれ心のような器官があります。霊体には霊の心があり、肉体には肉の心があります。

 

霊の心から発生するのが霊的意識です。霊的意識は、人間の高次元の要素であり、利他的方向を志向します。それに対して、肉の心から発生するのが肉体本能的意識です。肉体本能的意識は、人間と動物に共通の要素で、利己的方向を志向します。

 

霊の心と肉の心は、同一の場所に重複して存在しています。そのため、地上人は二つの異なる心を一つの心として感じます。私たち人間が心として自覚しているものの中には、霊的意識が含まれていますが、地上人は霊的意識の全てを自覚しているわけではありません。

 

霊的意識の大部分は、潜在意識として自覚できない状態にあります。霊的意識のほんの一部だけが、脳という物質の器官を通して顕在化しています。日頃、私たちが心として自覚しているのは、脳を経て自覚されるようになった霊的意識の一部と、脳から発生する肉体本能的意識が合体したものです。一般的に心とされているのは、この顕在意識のことなのです。

 

地上の人間は、霊的意識の一部しか自覚できないということを、シルバーバーチは次のように述べています。

 

 

「あなた方が自覚できる意識は、物質界で表現されている部分だけです。霊的進化のプロセスの中で、より大きな意識を自覚するようになるまでは、真の自我に気づくことはありません。大きな意識がほんの一瞬、現れることはあっても、大部分は隠されたままなのです。一般的に言って人間は、死のベールを通過するまでは、大霊から受け継いだ真の自我に気づくことはないのです。」

                                                                                                                             (Silver Birch Companion)

 

 

シルバーバーチが真の自我と言っているのは、霊の心、霊的意識のことを指しています。人間は地上で生きている間は、霊の心のほんの一部しか自覚することはできません。大部分の人間は死んで初めて、本当の自分を知ることになるのです。

 

 

(4)死後の人間の身体と心

 

死によって、人間の肉体と肉体本能は消滅します。そして、死後、人間は霊、霊の心、霊体という霊的要素だけで生活するようになります。人間は、死後も、知・情・意という心を持って活発に精神活動を行います。死ぬと肉体が消滅しますから、地上時代の肉体的障害はなくなります。身体障害や知的障害はなくなるということです。

 

以上が、人間観の4つの項目のポイントです。

 

次回は、死生観を学習していきます。